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- 二十代前半で漫画家を目指し、三十代後半で諦めた話 -

2021年08月24日 [平山より]

二十代前半で漫画家を目指し、三十代後半で諦めた話

こんにちは。
ドリクル!を運営している株式会社入曽デザインの代表取締役、平山です。

私がドリクルを思い立った理由は、自らが漫画家を目指して諦めた経験が元になったということをよく話しています。

一時期noteで匿名で記事を書いていたのですが(今は消しちゃいました)、その時に漫画家を諦めた話を詳しく書いているので、こちらに改めて記載します。

一部、note用に改変した事実もありますが、ほぼほぼ事実の話です。

– – – – – – – – – – – – – 以下、昔書いた話 – – – – – – – – – – – – –

僕は自分のことをフリーのWEBデザイナーと書いていたが、正確に言うと少し違う。
2017年にWEBサイト制作の会社を辞め、2018年にフリーランスとして独立し、そこから仕事が増えて大きくなって来たので、2020年に法人化した。
今では小さいながら、WEB制作会社の社長をやっている。

そんな僕だが、4年前までは漫画家を目指していた。そこから今日までの道のりについても書きたいことは沢山あるが、話が逸れてしまうので今回はやめよう。

4年前、36歳の時に漫画家の夢を諦めた。その話を書きたい。
三十代で漫画家の夢を追っている人に、諦めろだとか、がんばれだとか、アドバイスをするような内容ではない。
ただ、自分に何が起きて、どう考え、何を感じたのかを記すだけだ。

僕が漫画家を目指そうと思ったのは、美術大学の3年か4年の頃だ。
普通より、少し遅いと思う。
将来の進路をどうしようかと考えた時に、ふと漫画家になってみたいと思い、突然目指し始めた。
でも当時は、自分なら絶対出来ると思っていた。
ワンピースの尾田先生のようにバカ売れして、有名になって、大金を手に入れられるだろうと信じていた。
「万能感」という言葉をよく聞くが、二十代前半の僕は、特に酷い万能感に冒されていた。自分ほどの能力があれば、今この世にあるどんな漫画よりも楽しいものが描ける、週刊少年ジャンプにある漫画くらいなら楽勝で超えられる。本気でそう思っていた。

そこから初めて描き上げた漫画を、自信満々にJ編集部に持ち込んだ。
そこで、「こんなレベルじゃウチでは通用しない!」と、追い返されることはなかった。
僕の場合は、小さな子どもに諭すように「あのねボク、ここはね、君みたいな子がくるところじゃないんだよ、ほら、お母さんの所に帰りな。気をつけてね」という感じで、J編集部のビルを優しく送り出されてしまった。
もはや、批評をどうこうするレベルでもない作品だった。間違えて紛れ込んでしまった子どもが手に持っていた、落書きみたいなものだったのだろう。
でも、スタートとしては悪くなかったのかもしれない。当時自分はまだ二十代前半だ。ここで現実を知り、「絶対あいつを見返してやる!」という闘志を燃やし、漫画家として成長していくきっかけになったかもしれない。

しかし今だから言えることだが、僕には漫画に対する熱い情熱も、絶対漫画家になってやるという強い闘志も足りていなかったと思う。
その時は悔しいは悔しかったが、自分は優れているはずだという万能感と、「漫画家になって成功するはずの自分」という自意識に支えられていた。

一本目の漫画を描き終えたのは大学を卒業する頃だったので、卒業後には週4日でアルバイトをしながら漫画を描く(つもりの)生活を始めた。
どこかの先生のアシスタントに入り厳しい漫画の世界に身を置きながら作品を描くとか、働かずに実家に住まわせてもらいながら必死に漫画だけを描き続けるとか、そういうストイックな選択肢は一切頭になかった。
「自分はそんなキツいことをせずとも、楽に漫画家として成功できる」という根拠のない自信が依然としてあり、気楽なフリーター生活をスタートさせた。

週4日のアルバイト生活が始まっても、なかなか漫画を描くことはしなかった。残りの週3日は、家でダラダラとネットをしたり原付バイクをいじったりして、あっという間に時間は過ぎていった。
そんな生活ではあったが、やっと2本目の漫画を描き上げることができた。

どのくらいの時間が掛かったのか?
今自分で改めて思い出してみてもビックリするのだが、3年9ヶ月、何とたった45ページの漫画を描くのに、3年9ヶ月もの時間をかけていたのだ!!
理由は簡単、漫画を描く気がしなかったから。気が向いた時に、ちょろっと手を動かす。そんなことを続けていたのだ。
二十代の3年9ヶ月という時間があれば、人はかなり大きな物を得られると思う。全く別人のような成長を遂げることもできるだろう。
そんな時期に自分は、バイトをしながらダラダラと漫画を一本描いただけだったのだ。

漫画家を目指すってレベルじゃねーぞ!!

それでも当時の自分は、「やっと出来た……」と感動の涙さえ流したことを覚えている。
そして再びJ編集部にこの漫画を持って行く。

もちろん、その時も全く相手にされなかった。
それも当然のことで、3年9ヶ月かけたとはいえ、この漫画のネームは最初にJ編集部に相手にされなかった後、1ヶ月くらいの間に仕上げた物だ。その後、3年8ヶ月を掛けてダラダラとそのネームを元に原稿を描き続けていただけなのだ。ほんのちょっと画力が上がった程度で、進歩もクソもない作品だった。
しかし当時の自分は、3年9ヶ月に渡り漫画の修行をし、ついにその成果を見てもらえると、相当期待していた。
その分、再び全く評価されなかったことは、かなりの挫折感を味わった。
しかも二十代中盤、四捨五入すれば30歳にもなろうかという年齢により、「君には才能はないから、諦めた方がいいと思うよ」というアドバイスまでいただいてしまった。

この頃から万能感は大分弱まってきたが、まだまだ漫画家を目指すことをやめるという選択肢はなかった。
今思えば、全く努力できていなかったのに、何故まだ続けようと思ったのか、自分自身の気力が謎でもある。
しかし、流石に当時の僕も、3年9ヶ月はやり過ぎだろうと反省した。そこからは、少し描くペースが上がっていった。

そして、あまりに辛辣なことを言われてしまったため、J編集部に持ち込むことは諦めた。そしてネットで編集者が優しいという情報を見つけ、C編集部に持ち込むことに決めた。
そこで運よくいきなり月例賞の端っこの方に引っ掛かることができ、担当の編集者が初めてついた。
当時はとても嬉しかったことを覚えている。
お前には才能がないと言い切った、あのJの編集者に「どうだ!」と言ってやりたかった。
別に月例賞を取ることも担当がつくことも、そこまで高いハードルではなかったのだが、当時は相当舞い上がっていた。

ただ相変わらず描くペースは遅かったため、その後も月例賞を1年に1回取るか取らないかということを繰り返していた。
この時期も、漫画を描くことに心から熱中はしていなかった。遊びや趣味など、楽しいことにばかり気が向いていた。
しかし30を目前に控え、周りの働いている友達は給料も上がり、仕事でも責任のあるプロジェクトを任されたりするようになっていく。結婚して、車を買って、子どもが生まれ、家を買い出すヤツも出てくる。自分はというと、都内の古くて狭いワンルームで週4バイトの貧乏暮らしだ。
そんな周りと自分を比較した時、「でもオレは漫画家になるという夢を追っている、成功すれば有名になるし、大金も入ってくる」と、心の中で言い訳をしていた。大した努力もしていないのに、「漫画家を目指している」ということを様々な場面で免罪符にしていた。

そんな日々だったが、一つのきっかけが訪れる。
当時は宇多丸の映画批評が大好きで、よくラジオで聴いていた。そんな宇多丸が、あるインディーズ映画を大絶賛していた。自分はその映画を見たことがなかったが、批評を聴きながらシーンを想像し、感動して涙まで流してしまった。
さっそくその映画を観に行ったのだが、想像していた映画とは内容が少し違っていた。
宇多丸の批評を聴いて自分の頭の中に浮かび上がり、涙まで流したあの映画は一体何だったのか?
そこでその想像上の映画を自分で漫画化することにした。多分この作品を描いていた時が、自分が一番漫画を描くことに熱中し、そして楽しんでいた瞬間でもあった。

そしてその漫画は、C誌の比較的大きな賞を取り、それが誌面に掲載された。ついに、漫画家デビューを果たせたのだ。
漫画家を目指し始めてから約10年、自分も三十路になっていた。
ちなみにこの後も漫画を描き続けるが、この作品よりも評価されるものを描くことは、ついにできなかった。

デビューした後は、連載を貰いたかった。ネームを何本も上げたが、毎回没。それでも粘って読み切りの掲載に2本ほどこぎつけたが、読者の反応もなく連載には繋げられなかった。
デビューしてから、あっという間に5年が経ち、自分も三十代中盤に差しかかっていた。

この頃になると、若い頃にあった万能感は消え失せていて、焦りが出てきていた。この歳でこのまま漫画家を目指していていいのか、と。
このままネームを没にされ続けても、時間の無駄だ。この担当編集者から離れて、自分の描きたいものを、自由に、納得が行くまで描こう。
そしてそれを、十数年前に相手にもしてもらえなかったJ編集部に再び持ち込むんだ!

そう決めた。

どうにもならなかった自分に目をかけてくれて、育ててくれたC誌。気がつけば、10年近くお世話になっていた。そこを離れ、勝負をかける。これは一大決心だった。

で、あるはずなのに、また自分の悪い癖が出てしまう。
そこから次の作品を完成させるまでに、一年以上かけてしまった。
こだわり抜いてそんなに時間が掛かってしまった訳ではない。
ただ日々の生活にかまけて、ダラダラと時間を費やしてしまっていただけだ。しかもこの頃になると、漫画を描くという行為自体が、かなりの苦痛とストレスを伴うものになっていた。情熱とか、遊び心とか、ワクワクした気持ちはもはやそこにはなかった。

しかしそれでも出来上がった作品に、自信はあった。なんだかんだ言っても、漫画をもう15年以上描いている。デビューもしたし、読み切りも何本か掲載された。
今度こそ、J編集部に認めてもらえると思った。
絶賛されることはなくても、少なくとも、何らかの良いリアクションはもらえるだろうと期待していた。

そして約束の日、僕の作品を見てくれたのは、おそらく10以上は歳下と思われる、自分から見れば少年にも見える若い編集者だった。
彼は、僕の作品を見るなりこう言った。

「全然ダメですね。このレベルだと、ウチでは箸にも棒にも掛からないです。もうとにかく全部がダメです。何か作品から熱意とか全然感じないです。その歳ですよね、もう諦めてサラリーマンやっててください」

何故か、挫折、怒り、悔しさ、惨めさ、悲しさ、どんな感情も湧いてこなかった。
外に出ると、7月でバカみたいに快晴だったことを今でも覚えている。

ボーッとした感情のまま、当時はまだ婚約者だった今の妻にLINEを入れた。
「仕事帰り、合流してご飯食べない?」
そしてその夜そこで、乾杯をしながら漫画家になる夢を諦めたことを伝えた。36歳になり、結婚式まであと数ヶ月という時期だった。
説明を省いてしまっていたが、僕は30歳を過ぎた頃に会社員となり、正社員として働きながら漫画家を目指し、その会社で出会った彼女と婚約をしていた。一番最初に書いた、WEBサイト制作の会社のことだ。

あの日は、不思議と大きな感情のうねりは起きなかった。ずっと淡々としていた。
自分の二十代のほとんどを含む15年以上の時間を「漫画家になる」ということに費やしてしまっていたため、引くに引けなくなっていただけなのかもしれない。「漫画家になりたい」という夢は、もうとっくに死んでいたのかもしれない。
もちろん、僕の人生はそこで終わりではなかったし、そこからが始まりだった。

では今何故、そこからWEBデザインの会社を経営しているのか?その話も、いずれ書きたいと思う。
こんなに長くてダラダラした自分語りなのに、ここまで読んでくれてどうもありがとう。
本当に感謝する。